うちは兄弟で完全不登校でした。
2歳違いの兄弟ですが、兄は小3から、弟は小2から小学校へ行っていません。
その兄が、3年間不登校ののち、小6の二学期から小学校へ通えるようになり、突然中学受験をしたいと言い出し、見事に第一志望私立中学へ合格しました。もちろん、学校も一日も欠席していません。
今になって、なぜ3年間もの不登校から脱出できたのか考えてみたいと思います。
【理由1】自己肯定感が上がった
不登校の時は子供自身に自信が全くありませんでした。そして、他人の目を怖がっていました。特に学校の同級生に会うことを極端に恐れていました。学校の先生に対しては反抗的な態度でした。
それが、学校へ通えるようになった今はどうかというと、自信に満ち溢れ堂々と生きています。他人に何を言われてもひるむことなく、自分の考えを持っています。自分のやりたいことを自分で決め、行動に移し、主体的に生きています。
それは、実は子供は皆持っている能力なのです。それを潰してしまい、生きる気力を奪っていたのは、他ならぬ私なのです。
同級生や他人に怯えるような子供にしてしまったのは、私が他人の目を意識して子育てをしてきたからです。いわゆる世間体というものを私はとても意識していたのです。でもそのことに私は全く気がつかなかったのです。
でも今は私自身が、他人にどう思われようとどうでもよくなりました。つまり、真面目過ぎたのです。良い母を目指し過ぎて頑張りすぎていたのです。
世間体を意識して子育てをしていると、子供を、叱ることが増えます。なぜなら、他人から見る「良い子」を理想として子育てしてしまうからです。あれも出来ていない、もっと、もっと出来るようにさせなきゃ、と。
でも、子供は今ここに生きているだけで完全であり、素晴らしい存在なのです。何もひっぱりあげる必要なんてなかったのです。
極論を言うと、学校へ行こうが、行くまいか、そんなことは子供の存在意義には全く関係のないことだったのです。
私は学校へ行けない子供をダメだと見ていました。どうして、こんなダメな子になってしまったのか、と。
不登校から脱出したのには、私の子供を見る目が変わったからかもしれません。「ダメな子」だと思っていたけど、それは私の心がダメだったからで、本当は素晴らしい子なのだ、こんな良いところが沢山ある!と私自身が気づいたことが大きかったと思います。
【理由2】たった一人でも友達がいた
子供にとって、友達は本当に大切な存在です。思春期に入ると親よりも大事な存在になるかもしれません。
学校へ行けるようになった要因の一つに仲の良い友達がたった一人だけいたから、ということも大きいです。
たった一人でも自分が学校へ行けなかった時に、ずっと心配してくれていた友達がいたというのは、本当に涙が出るほど嬉しいものです。
その友達がいつでも支えてくれていたら、大きな勇気になることは間違いないです。
【理由3】打ち込める好きなことがあった
3年間も学校へ行かないと、時間が有り余るほどあります。夜、寝てる時以外は全部ヒマで自由です。
かといって、その時間勉強する訳はなく、することがなく、時間を、持て余すようになります。
そんな時、自分が打ち込める好きなことがあるのは本当に大きいです。しかも、「自分が好きなこと」というのが大事なポイントです。「親がやらせること」ではないのです!
うちの兄の場合は「マンガ」でした。ずーっとずーっとマンガを読んでいられるのです。しかも楽しそうに!
不登校の子供と毎日一緒に過ごしていると、親は息が詰まります。それがまたイライラとなって子供に余計なことを言ってしまったり、、
でも、子供が好きなことをして楽しそうにしていれば、親も心が穏やかになります。そのためには、親も自分の好きなことをして楽しむことです!
くれぐれも親自身がやりたいことを我慢して生きている、なんてことは絶対にやめましょう。子供にとって悪影響でしかありません。
親がやりたいこと、好きなことを、我慢してやらずに生きていたら、不満が溜まります。そうすると、子供が好きなことやって笑ってくつろいでいるとこに、怒りが沸いてきます。悪循環です。
親も子供も、自分の好きなことをやって充実して笑って生きていることが、一番大切なことなのです。親も子も我慢がよくないということを多くの失敗から痛感しました。
【理由4】沢山一緒に話をした
不登校の子供といると、親はイライラすることが増えます。でも、子供のありのままの存在を受け入れ始めると、イライラすることが減ってきます。そこからが大事です。
一緒にいてイライラする時期は、物理的に離れましょう。イライラしながら一緒にいても悪影響しかないです。
親がイライラしなくなってきたら、一緒に楽しみ、一緒に笑い、一緒に沢山話をしましょう!それがのちのエネルギーになります。
くれぐれも「学校へ行かせよう」としたり、「勉強を強制」させようとしてはいけません。
ほっといても、子供自身にエネルギーが溜まれば自分からすべて行動していくものです。
親からの強制、命令、指示は「百害あって一利なし」です。これは、私の失敗から学んだことです。
私は本当にひどい子育てをしてきました。子供に命令し、指示し、その通りに動かないとキレて怒り、怒鳴り、罵倒し、これでもかとイジメ、おまえはダメ人間だと植え付けてきたのです。
実は、私自身がそのように育てられてきたのです。私はそのような両親から愛されるために必死で「良い子」を演じて生きてきたのです。
積もり積もった、幼い頃からの我慢の蓄積が、自分の子育てというときに突然吹き出してきたのです。「私はこんなに我慢して生きてきたのよ!」と。
子供が潰れて精神的におかしくなって、学校へ全く行けなくなってから、やっと少しずつ気がついてきました。おかしかったのは、子供ではなく、私自身だったのです。もっというと、私を育てた両親でもあったのです。
原因を先祖代々まで遡っても、仕方ないことですが、両親も必死だったし、私も必死で子育てしてきたのです。もう、いいや、と思うことです。気持ちを切り替えていくしかありません。
気がついたのだから、ここから変わればいいのです。実際、私が変われば面白いように子供が変わってきました。本当です。
親が心から笑い、楽しんで生きていると、子供も連鎖してきます。一緒に過ごせる時間を大切にして、沢山話をして親子で笑いましょう!
【理由5】夫婦の時間を大切にするようになった
私は旦那そっちのけで、子供のことばかり考えていました。特に不登校になってからは、夫婦で喧嘩することが増えて関係が悪化していました。
でも、子供のことよりも夫婦で楽しむことを大事にするようになりました。一緒に買い物したり映画を観たり、カフェでコーヒー飲んだり、色々と語らいだり、、
夫婦仲良く、楽しんでいる姿を子供が見ていると、家庭内に安定感が出てきます。
これはプラスのエネルギーで、好循環を生みます。子供はだんだん元気になってきます。
【まとめ】
これまで、私が気がついたことをまとめてみました。これは我が家の一例です。もちろん、親も違えば子供も違うので、一律で同じようにはいかないと思います。我が家でも、兄は今このような状況を辿っていますが、弟は今後どのようになるか分かりません。でも、その時々でこのような兄の一例を思い出し、子供と向き合い、子育てをしていこうと思っています。
私のこの3年間以上の不登校の子供との経験が、どなたかの参考になればいいなと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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